おはようございます!
名古屋で個人タクシーを目指して営業しているのぶと申します。
今回は、
というお話し。
「釈迦に説法」と、聞くと
「釈迦に説法」とは、
未熟な者がその道の専門家に向かって一人前の口をきくたとえ。
教える立場が逆であるというたとえ。
で、おせっかい的な行動という意味合いが一般的だと思います。
「しかもあなたよりずっとくわしく」
という感じですよね。
でもこれが、
普段口も聞かなくなった息子にされると、すごくうれしく感じる瞬間があるようです。
「運転手さん、ほんと、俺、まだまだっスね!(涙)」
↑
無線配車で呼ばれ、結婚式終了後の新郎さん(25歳前後)の言葉です。
「ポケットに入れてる手袋は、写真撮るときとかは出して手に持つんだよ!」
「歓談の時は……とにかく主賓の人にはしっかり挨拶してね!」
などなど、
この新郎さん、
いつも頼りなく無口な父親を心配して、結婚式が決まった日から結婚式当日の朝までず〜っと自分の知り得る知識を教えていたそうです。
そして本番。
新郎の頼りない無口なお父さんは…
立ち居振る舞いからスピーチまで、完っ璧にこなしたそうです!
しかも歓談の時は、普段の無口とは程遠い対応で、お父さんの周りは常に笑顔が絶えなかったそうです!
それを見た新郎は、
誇らしく思った反面、自分が教えていたことに恥ずかしさが込み上げてきて、
披露宴後半お母さんに、
と聞いたところ、
そうなんです。
実はこのお父さん、その昔、編集という仕事を通して何百という結婚式を見ていて、さらに撮影する新人さんに、結婚式、披露宴の流れから、マナー、立ち振る舞いなどを教えるくらいのブライダルマスターだったんです。
新郎さんの知識なんて…
というレベル。
「ふだん口も聞いてくれないあいつが、俺のために一生懸命になって教えてくれる。たまに間違っているけど、ちゃんと調べ直して正しい答えにたどりついてる。ほんと、大きくなったな、あ、俺が知ってたこと黙っとけよ!」
「って、あんた(新郎さん)に教わった後は、毎回うれしそうだったわよ」
というちょっとしたドラマのような展開だったそうです^^
長いまとめ
親が子供の幸せを願って教えることは自然なことで、自分の知識や経験を全力で伝えますよね。
赤ちゃん、幼稚園、小学校…いろんな場面で
「自分がした失敗をさせたくない」
という親心であふれているはずです。
この時期の親は、子供にとってなんでも答えてくれる頼るべき存在で、大袈裟に言えば神様ぐらいに感じているかもしれません。
そして、月日はあっという間に経ちます。
子供も学生から社会人になると、親から教わることも少なくなります。
そんな時期。
親が新しいことに苦戦していたり、簡単と思うことを苦戦している状況が頻繁になり、教えてあげたり手伝ったりすることが多くなります。
その辺りから親を「老いたな」と感じ、そのうち「親は何もできない、知らない」という認識になっていくものです。
(今回の新郎さんはこの時期の出来事だと思います)
でもこれは、
ですよね。
もちろん親もそんな経験をして今があるはずで、私も最近この流れを子供に感じました。
「それはこうするだけでいいんだよ」
もちろんそのほとんどは分かりきったことですが、その状況になると若い頃の自分と重なりうれしい気持ちになります。
そして、自分の親もそうだったんだろうな。
とも想い、
と結論づけました。
誰もが経験することを、無事経験できる。
これ、幸せなことですよね^^
以上、
うれしい「釈迦に説法」を聞いて幸せな気持ちになった
というお話しでした。
ただ一点。
親を「釈迦」に例えることに抵抗を感じましたが「その点はスルーで!」とお願いするとして、今日も勤務なのでここら辺で睡眠をとりたいと思います。
お疲れ様でした。
以上!
今回はここまで
コメント